大人の作文/パッソさんの「パソコン奮闘記」ひとりで生きていくつもりだが

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     パッソさんのパソコン奮闘記9と10のご紹介です。今回は娘さんとの葛藤がメインです。「書けば心の整理がつく」ともめた状況を思い出し、会話を再現して書かれました。

     

     では、パッソさんお願いします。

    「はあい」

     

    (ホワイトデーらしく^^)

     

    パソコン奮闘記9  一人で生きていくつもりだが、 パッソ(70代女性)

     

     一人で生きていくつもりだが、2人の娘に励まされたり、慰められたり、馬鹿にされたりしている。特に上の娘は、手厳しい。
    「お母さんて、昔からそうだったの?」

    「何が?」
    「昔から、いいかげんだったの?」

    「そうねえ」
    そうと言えばそうのような気がするし、違うと言えば違うような気もする。永い間、貧乏暮らしを強いられたせいで、おしゃれとはほど遠い暮らしをしている。食べるのはテキトウだし、着るものはいくら古くても、洗ってあれば平気で着る。流行を追う気はさらさらない。
    電気製品は、娘が学生時代に使っていたものを、壊れるまで使い、畳、ふすまはこのところ替えたことがない。どうせプリンが汚すのだからとシミを取らない畳に娘は座ろうともせず、もっぱら、自分の家に来て、とおよびがかかる。

     

     ららぽーとからの帰り、乗り込んだ愛車のパッソが、これまた16年とあって、アイドリングをすると耳障りな音がする。
    「この車、すごい音がするねえ」

    「うん、古いからね」
    トヨタがきいたら、怒りそうなことを言った。

    「あと5年だね。パッソがだめになって、プリンが死んで、私が働けなくなるまで。でも、80才まで働きたいから、ココファン(高齢者向け住宅)に入居して、賄いをするのはどうかしら。職、住、接近って言ったかしらねー」
    「そんなの、聞いたことないよ」
    相変わらず娘は素っ気ない。

     

     娘が壊れたパソコンを、テーブルの上に置いた。いわく、私と同じメーカーのK社の製品だそうな。何もかも「ゴミ箱」に捨てていたら、「ごみ箱」があふれて壊れてしまったらしい。よく分からないが、データを「ゴミ箱」に移しただけではダメなようなので、私も全部、完全に消去してもらうことにした。
    大事なものなんかない。全部捨てて、ぜーんぶと言うと、それじゃあ捨ててはいけないもの、使う前から入っていたものまで捨ててしまうと言われて、訳が分からなくなってしまった。電源を切るのは、シャットダウンを押すのよと言われて、それくらいわかってる、シャフトダウンでしょ。ちがうちがう、シャットダウン。分かった、分かった。どっちも似たようなものじゃあないか。どうやら娘も知らずに、いきなり電源ボタンを押して切っていたようだ。

     

     ブログはね、ホームページと違って、誰も彼も見るわけじゃあないのよ。表札みたいなものよ表札。そうか、表札かあ。日本中の人が読んでると思ったのに、こんな古いタウンハウスの私の上の表札なんて、誰も見向きもしないだろう。しょんぼりして帰ってきた。書くのをやめようかな、ついでにパソコンも。
    それにしても娘は、二度とK社のパソコンは買わないと腹を立てていたが、あれはパソコンではなく、使う人が悪かったのでは?

     

    パソコン奮闘記10 毎年、この時期になると
    毎年、この時期になると勤務しているサービス付き高齢者向け住宅ココファンでは、インフルエンザの予防接種が義務付けられている。痛いよ、熱を持つからね、何だか、かったるくてさなんて言われると、やめようかなと思うが、前田さんの「肩の痛み止めの注射に比べれば、どうってことない」その一言で、病院に行くことにした。

     会社が設定した接種の期限は11月末日。インフルエンザが流行りだす前に職員に免疫をつけさせ、施設内での蔓延を防ぎたいというのが会社の意図だ。


    ところが病院に行くとこの注射は、ワクチンがないということで、長い間、待たされていた。その為、結局、11月末日までの期日に間に合わずに、12月1日になってしまったが、まあいい、どうせ11月30日に病院に行っても、領収書を提出するのは、翌日の12月1日になってしまうのだから、結局、同じことではないか。終わり良ければ総て良しだが、こういうところが、娘から見れば、どうして?となるのだろう。健康診断の予約をしたのは6月だった。インフルエンザの予防接種をするようにと言われたのは、そのあとである。どうせなら一緒に済ませようとした結果が、このありさまだった。ワクチンが足りなくなることなど、想定外だった。
    「人はねー、みんなもっと先のことまで考えてるわよ」

    娘にそう言われて
    「うーん、そうだね」

    と言わざるをえなかった。
    またもや娘からダメ出しを受けてしまった。

     

     娘や周囲の人たちに今でもいろんな注意を受けてしまう。上の娘はかって私に「無駄な苦労をしている」と言った。下の娘は「まるで綱渡りみたい」と言った。義兄は「猪突猛進」と言った。どれも、言い得て妙である。


    人間万事塞翁が馬という諺がある。私は困難に直面した時、今にきっといいことがある、と自分に言い聞かせてきた。パニック障害も、胃がんもそれでのりきってきた。パソコンがものにならなければ、それはそれでいい。玩具にしてはたかくついたが、それなりに楽しかったし。


    国境の塞近くに、占いの巧みな老人がいた。
    ある時その馬が逃げ、人々が同情すると、これが幸いになると。
    案の定、逃げた馬はやがて駿馬を連れて帰って来た。
    馬がせっかく帰ってきたのに、息子が落馬しておおけがをする。
    が、為に、息子は兵役を逃れ、命を永らえる。
    故事より

     

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    パッソさん、ありがとうございます。パッソさん、がんばれー( `ー´)ノ

     

     

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    大人の作文/パッソさんのパソコン奮闘記

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       70代女性、パッソさんのパソコン奮闘記7と8です。パソコンに奮闘する日々がテーマですが、愛犬が出てきたり、お孫さんが出てきたり、ファックスのたとえが出てきたり、話はあちこちにおもしろ可笑しく広がります。しかも、どれもこれもうまくパソコンとつながっていくところがパッソさんの上手なところ。楽しい作文です。ぜひお、読みになってください。

       

       では、パッソさんお願いします。

      「はあい」

       

       

      パソコン奮闘記7 プリンが下痢をした

       

       プリンが下痢をした。プリンというのは、「ご飯」「散歩」「お仕事」が分かる11才のミニチュアダックスのメス犬である。一人暮らしの私は、よく物を放りっぱなしにしておく。出がけにプリンがファンデーションをくわえているのを見て、しまったと思ったが『まあ、いい』と家を出た。一旦、くわえた物を取ると、猛烈に怒る。その為に、3回噛まれて病院に行ったが、この頃はすぐに飽きるので取り上げないことにしている。家に帰ると、ファンデーションの蓋はちゃんとしまっていた。『アア、良かった』と思ったのも束の間で、部屋中にドロ状のウンチがしてあった。


      そして今朝、ファンデーションの蓋をあけると、粉々になって綺麗に平らげられていた。これだ! 動物病院に行って、腸のエコーをとり、注射をして貰って、薬と缶詰のドッグフードを貰って一万円也。ファンデーションより高くついてしまった。パソコンもプリンも手に負えないが、どちらもかけがえのないものになってほしいものだとやおらパソコンにむかった。

       

       作文教室で詩を暗唱することになった。歳をとると共に、さまざまな機能が低下するが、なかでも記憶力の低下は凄まじい。先生は、1日30回音読すれば必ず覚えられますと言うが、3回で嫌になってしまった。そこで私は、その詩をパソコンで打つことにした。
      頂いたプリントには雨ニモマケズの他、6編の詩が印刷されていたが、その中から比較的短い、島崎藤村の小諸なる古城のほとりを試しに打ってみた。それが以外に面白い。予期しないことだった。

       

       暗唱する、しないは別として、キーボードの上のアルファベットの位置を覚えるのにちょうどいい。キーを叩く指はともかく、先ずその配置を覚えることにしょう。吃音や濁音も打てるようになった。

       

       くじけそうになって妹に「誰でも出来るようになるわ」と言われたのを励みに続けてきたが、気がつくとこれまで日にちと曜日が覚えられなかったが、今ではそういう事もなくなった。これはもしかしたら脳の活性化?とひそかにほくそえんではいるが、しかし脳の活性化というのは疲れるものだ。

       

      パソコン奮闘記8 再び画面が小さくなってしまった

       

       再び画面が小さくなってしまった。どうしてか分からないが、どこまでも小さくなっていく。前の時は元に戻ったが、当てずっぽうなので、どこをどうすればいいのか分からない。

       

       こんな時、孫でも横にいて「おばあちゃん、こうだよ」と教えてもらえればありがたいのだが、バイトと遊びに忙しい孫を、煩わせるわけにはいかない。今年、大学に入った孫は今、世田谷で一人暮らしをしている。どうしているかなあ、たまには電話でもしてみようかなあ、と思いながら指でパソコンをなぞっていると、急に文字が大きくなった。だが画面の上にいっぱい文字や記号が並んでていて、たったの一行しか打てない。が、まあいい。雨ニモマケズを打ち終えた。しかし、いちいち片かなになおすのは面倒だって。マ、時間はいくらでもある。ボツボツやる事にしょう。

       

       ネットが繋がる頃には、パソコンが使い物にならなくなっていなければいいのだが。思い通りにならないパソコンに嫌気がさして、プリンの散歩に行くことにした。その後、何日ぶりかで買い物に行く。午後からは仕事。アーア、仕事してる方がどれだけいいかしれない。脳の活性化なんて仕事をしていてもできるではないか。

       

       作文教室の名前とペンネームを教えたら、「お母さんのブログ見たよ」北海道の娘からメールが届いた。「エッ、本当?」「ここの所をタッチしてみて、多分、お母さんも読めるよ」と、青い文字が打ってある。

       

       まさかと恐る恐る触ると出た!私の書いた作文がそっくり出ている。おまけに覚えのあるえんじ色のセーターを着た私の後ろ姿まで写っていた。勿論、ブログの出来ない私の代わりに、先生が載せて下さったものだが、まだネットも繋がっていないのに、スマホでこんな事が出来るのかと驚いた。

       

       かってFaXを始めて見た人が、電線を紙がヒラヒラと舞っていくのを想像したというのを聞いたことがあるが、今、私もまさにそんな心境であった。しかし、よく考えてみれば、電話もテレビもそこに人がいないのにと、不思議といえば不思議なものよ。まるで玄関を開けると娘が「ただいま」と立っているようなきがしてきて、その夜はなかなか寝付くことができずにいた。昼間の健康診断で127だった血圧はおそらく150を越えているだろう。

       

       

       

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      大学生小論文/課題『記号論への招待』(池上嘉彦)

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         『記号論への招待』(池上嘉彦)の一部を読んで書かれた小論文を紹介します。大学生のみーさんが書きました。

         

        抜粋の要約

         言語は文化の影響を強く受けて形成される。日本語も例外ではない。日本の歴史や文化の影響を受けて形作られてきたのが日本語であり、それは敬語の種類や人称の種類などに表れている。人間は知らず知らずのうちに生まれ育った文化の影響を受けている。

         

         

         大学生のみーさんはこの問題を自分の生き方に結び付けて考えました。では、みーさんお願いします。

        「ミー」

         

        『記号論への招待』(抜粋)を読んで 大学生 みー

         

         言葉の背後には、その言語圏の文化が含まれている。例えば日本人は「スミマセン」という言葉を「お礼」と「お詫び」の2つの意味に捉える。一見相反する意味だが、背景を見てみると相手からの行為に対する感謝と負担をかけてしまった謝罪からくる。日本ではこのように謙虚すぎる物言いが多いが、もっと自分に自信を持った生き方をしていきたい。

         

         そのためには第一に失敗や批判を恐れないことだ。謙虚さの背景には「これを言ったら失礼かな」と言った恐れる気持ちがある。アルバイト先で先輩に何か聞いたりするときに「すみません、○○さん」と毎回「すみません」を言いながら話しかけていた。「相手の時間をとって申し訳ない」という無意識な気持ちが出ていたのだと思う。しかし同期の子が先輩にもっとフランクに話しかけ、楽しそうに会話する様子を見て「自分は謙虚になりすぎた」と感じた。先輩が私と接するときに「そんな固くならなくていいよ」と言っていた意味がわかった。謙虚すぎることは時にコミュニケーションを滞らせてしまう。

         

         もう1つは積極的に海外の人と交流することで、日本の価値観にとらわれない考え方を身につけることだ。渋沢栄一は幕末にヨーロッパ諸国を周り、帰国後に現在まで続く数々の会社を創設した。これは海外の働き方を見るとともに文化も肌で感じ、自分が良いと思う方向へ突き進むことの大切さを学んだ結果ではないだろうか。事実、彼は起業の他にも医療や福祉方面でも活躍してノーベル平和賞の候補になっている。多方面で活躍した彼は広い視野を持っていたからこそ成功してきたのだろう。

         

         もちろんそれぞれの文化の個性を守ることは大事だ。自分中心になりすぎて相手を不快にさせるのは良くない。しかし文化を守りすぎて無自覚に謙虚になりすぎることがあってはならない。「自分が考える通りに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きた通りに考えるようになってしまう」という言葉のように、考えることを放棄して当たり前を受け入れることは、いざ世界に目を向けた時に日本という小さな視点でしか物事を見れなくなってしまう。日本以外にも様々な文化があり、こうした言葉遣いは1つのやり方にすぎないといった広い視野からの考えを持つことが必要である。

         

         

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        【おとなの作文】課題「寒い朝」、サクラさん、パッソさん

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           昨日、子どもたちが書いた「寒い朝」をご紹介しましたが、今日はおとなが書いた「寒い朝」をご紹介します。80代のサクラさん、70代のパッソさんです。

           

           まずは、サクラさんお願いします。昔の東北の朝は寒そうですね。

          「はあい」

          寒い朝 サクラ(80代女性)

           

           私は東北地方に生まれ育ちました。家には水道がなく、家の中に水が沢山入った水ガメがありました。毎日というわけではありませんでしたが、そこに薄い氷が張っている日がありました。毎朝、洗面器に水ガメの水を入れ、顔を洗ってから、朝食をいただき、学校へ行っていました。
           これも毎日というわけではありませんが、家族みんなの靴が凍りました。靴が凍っていたのはわらぐつだったからです。前日の雪がしみて濡れ、それが凍りました。そんなときは父さんが囲炉裏の回りに靴を並べ、中が温かくなるよう、また、履きやすくなるようしてくれました。わらぐつは家の人が作ってくれていました。昔の人は何でも自分で作りました。
           現在はストーブをつけてから朝の仕事に取り掛かります。今は何もかもがすっかり変わりました。

           

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          続いてパッソさんです。お願いします。

          「いくでー」

           

           

          寒い朝 パッソ(70代女性)


           母の偉大さを今ごろになって知った。
           私が子どもの頃、もう70年近くも前になろうか、朝起きると真っ先に火鉢に手をかざすのが常だった。顔を洗うためのお湯が洗面器に張られていた。それは母が早く起きて家族のために当然のようにやってきたことであったが、今の私にそれができるかと言われると、できない。エアコンの効いた部屋で朝寝を堪能し、好きな時に起きて好きなものを食べている。

           お正月に久しぶりに訪れた娘は腹を立てて帰って行った。おしゃべりに夢中になるあまり、ろくにもてなさなかったのが原因だったが、そっか、母の座っているのを私は見たことがなかった。台所の上がり框に座った母はいつでも立って用ができるように草履をはいたままであった。

           世の中は便利になった。暮らしやすくもなった。だが、それが幸せにつながるのかどうか不満ばかりがはびこっているような気がするのは私だけだろうか。

           

           

           

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          【おとなの作文】鈴さん(60代女性)が書いた「おばあちゃんのこと」

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             おとなの作文のご紹介です。鈴さんがご自身のおばあちゃんのことを書きました。おばあちゃんの生い立ちから、思い出深いエピソードまでを綴る長い作文になりました。原稿用紙4枚分です。おばあちゃんへの深い愛情が伝わります。皆さんはハンカチをご用意の上、お読みください^^ では、鈴さん、お願いします。

             

            「はあい」

             

             

             

             おばあちゃんのこと 鈴(60代女性)

             

             祖母は明治三十年生まれ、平成の時代まで、九十三歳を生き抜いた。生まれた時から一緒にいたので、祖母のことを少しは知っている。そして、知っていることを、子や孫にも知ってほしくて、書いてみる。


             祖母は奈良県御所(ごせ)に長女として出生。しかし、父親とはすぐに死別。母親は、望まれてお金持ちの歯科医に後妻として嫁ぐこととなった。ただ、子連れは拒まれたので、叔父叔母の元で育つこととなる。後年、父親違いの妹とは、祖母の結婚後は、頻繁に交流があった。私もよく知っている。
             祖母は叔父叔母の家に七歳まで過ごし、そのあとは、京都の大店の呉服屋に、子守奉公にあがる。ここでの生活が、祖母のその後に大きな影響を与えた、と私は思う。七歳で子守奉公と聞くと、「おしん」のように辛抱、我慢の日々を思うが、そういうことは祖母の口から聞かされたことはない。だからといって、なかったことにはならない。「せずに済む苦労はしなくて良い」が口癖だったことも併せて考えれば、推して知るべし、であろう。

             

             子守はひたすら、重太郎坊ちゃまを守り、お相手を務める。女中さんがたくさんいて、家のことは何もしなくて良かったそうだ。坊ちゃまが学校へ上がれば、登下校を付き添い、教室の後ろで控えていることもあったそうで、学校へ通わなかった祖母には得難い学習の場であったようだ。
             年頃になってお役御免となり、郷里の人の世話で、祖父へ嫁ぐ。祖父の、祖母に対する第一印象は、「小さいなあ」だったと、祖父から聞いたことがある。
             そして、五女一男を授かった。長女が私の母である。

             

             恵まれた子供時代ではなかったはずだが、祖母はとても上品な婦人だった。物腰や言葉使いは京都風。月に二回、髪結いさんがやってきて、髪を結い上げ、着物もよく誂えていた。だらしない恰好は見たことがない。
             私が小学校高学年のころ、祖母のお供で、かつて仕えていた京都の呉服屋さんへご挨拶に行ったことがある。実家はおもちゃの問屋だったので、重太郎坊ちゃまのお孫さんやらへの土産に、大きなおもちゃの荷物持ちである。しかし、たぶん、行儀作法習得に最適という判断もあったのだろう。祇園祭に際して、家宝の壺や、軸や、きらびやかな振袖が飾られた呉服屋で、祖母は、昔の奉公人、という扱いではなく、大阪の商家の大奥様、という扱いであった。かつての主従は、お互い畳に額が付くぐらい丁寧なお辞儀を繰り返し、上等のお寿司でもてなされ、それは、お供の小学生に対しても、実に礼儀正しく、厳かであった。祖母のお供で京都へ通うことは、その後も続いた。
             祖父は昭和四十一年、心臓発作で突然他界した。祖母の寂しさを思いやるほど大人ではなかった私に、そのころの記憶は薄い。

             

             中学生の時、従妹や姉たちと、スキーに行くことになった。祖母は買って出て、その付き添いをしてくれた。もんぺ姿も凛々しく、リフトに乗ってそのまま降りてくる、お茶目なおばあちゃんだ。計算したら76歳ぐらいかと思う。
             88歳を過ぎて、認知症になった。しかしそれからの5年間も、気づかいと感謝の人であり続け、只々、可愛いおばあちゃんだった。
            歩行が困難になって、ほぼ床につく終末期、おはぎが食べたい、と言い、家人がおはぎを買いに行っている間に、祖母は旅立った。祖母のことを思うときは、祖母の魂に見守られているような気持がする。きっと、そうだ。おばあちゃん、ありがとう。大好きだよ。

             

             

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            自己紹介

            浅岡佳代
            2003年より作文講師
            2005年より作文教室主催
            2021年より作文&プログラミング教室主催
            2023年 荒垣秀雄顕彰作文コンクール(飛騨市)審査協力/6月カミオカラボプログラミング講座講師
            コース概要
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