おとな作文教室の生徒さんの作文のご紹介します。80代女性の作品。今回の課題は「私の宝物」でした。お父様からのお手紙のことを書きました。
浅岡からのコメントは作文の下に記しました。
では、皆さま、ぜひ、ご一読ください。
私の宝物 大山ヨシノ
最近、めずらしく思い出すことがあります。 今年3月に撮った親戚とのお花見の写真を妹のところへ手紙ととも に送り、それを見て妹が電話をくれ、 こんな珍しいものありがとうと言われたときにも思い出しました。 父からの手紙です。
私は今から62年前、18歳の頃、兄姉の家族として外国、 ブラジルの移民として渡航しました。 父親が手紙を何通もくれました。何事も心配だったんでしょうね。 2年過ぎようとしてた時、 日本に帰ってくるようにとの便りがありました。 簡単に帰れるわけではなく、 高額の旅費を実家の兄さんが送金してくれて長い長い帰国の船旅を しました。
父からの手紙は何通もありました。内容もいろいろ。 兄たちよりも私のことが心配だったのだと思います。 心のあたたかな父でした。 その宝物の手紙が見つからなくて困っています。
帰国後の1月15日、私の成人式が済みました。3月中頃、 私は大山家へ嫁ぎ、東京での生活となり、 親戚の年配の方達との付き合いはたいへんなものでした。時々、 父親からの手紙を見て楽しんでいました。その後、 子どもが2人生まれ、にぎやかな毎日でした。 自分を支えてくれた父からの手紙を見て暮らしていました。
▲添削済みです。
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(浅岡から)失くしてしまった手紙ともうひとつ、 お嫁に行った後で実家の炬燵でうたたねしていた時に、 お父様が何かしら励ますような、 温かい言葉をかけてくださったその言葉も、 思い出そうとしても思い出せないとのことでした。 何とか思い出したいのだけれど……とおっしゃってました。 そのことを書こうかな、 どうしようかなと迷われて書かれなかったので私の方から書き添え ておきます。
また、嫁ぎ先でのいじめはひどかったそうです。 材木問屋に嫁がれ、 材木を運ぶ運河に何度も身を投げようと思われたとか。でも、 今回もそういったことはいっさい書かず、 子どもが生まれて賑やかだったにとどめられたのでした。とてもいい作文だと思いました。ヨシノさんありがとうございます。
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